入山です、
コロナ禍まっただ中ですね。
今月、フィンランドへ行く事を
計画していたのですが
緊急事態宣言の影響で
日本人は殆どの国には入れないです。
それに、ヨーロッパでは
変位種の脅威もありますので
周りへの迷惑を思うと
どちらにせよ行けないですね。
こんなときだからこそ、
2019年からの世界放浪の旅の軌跡を
シェアします。
実際に旅に出ているときの記録です。
旅に出たくても出れない状況ですが
海外での暮らしの記録を共有することで
あなたにも旅で得た学びの刺激を
渡せたらと思います。
…
「本当に旅をしているんですか?」
なんて言われたこともあります。
入山『はい、なんでですか?』
「発信していないので、
本当に旅をしているのかわかりません。」
「本当はこっそり日本に帰ってきてるんでしょ」
「証拠をみせよ!」
なんて言われちゃいます。
参ったな、、、
やはり
目に見える形で見て信じたい方も
一定数いると言う事なのですね。
どうやら、
日本の機関に頼めば
渡航証明書がもらえるそうです。
また帰ったらお見せしますね!
結構こうのような意見はくるのですが
気にかけてもらうのは
ありがたいと、感謝の気持ちを胸に
応対しております。
でも反面、
この意見にブラされる形で
無理やり発信しても
よく無いことだ。と考えています。
重要なことなので
どういうことか
説明していきたいと思います。
旅に出てから
多くの新しい世界へ行っています。
想像したこともないような
新しい体験や、
国も文化も言語も違う人々との
コミュニケーションなどを経て
自分の枠が広がっていくのを
実感しています。
例えば、場所。
世界遺産といわれる場所にもいくつか行ったり
特別な許可を取れないと入れない
秘境にもいくつか足を運びました。
大勢の観光客がいるところも
そうでないところも行ったのですが
そこで驚いたことがあります。
多くの人が景色を見てないんです。
正確に言うと見てはいるんですが
皆レンズ越しに見ているんです。
スマホの時も良いカメラの時も
あるのですが、
皆目の前の景色を少し見たら
また写真を撮ったりビデオを撮ったりして
すぐにインスタのストーリーにあげたりします。
それが悪いわけではないのです。
が、
損をしているとも思います。
昔の僕の実際の経験ですが
ビデオや素材を取るために
美しい街並みの北欧の国へ
行ったことがありました。
そこでは当時までにみたこともないような
旧市街の鮮やかな街並みや
歴史の背景を感じる場所だったのですが
そこで僕が考えていたのは
「どこが映える絵が撮れるか」
です。
目の前の景色や体験なんて
受け取っているようで
全然受け取れてなかったんです。
他にも、興味深い経験を
ビデオに撮ろうとしていた旅では、
新しい体験や何かが起こるたびに
感動するのではなく
思うのは
「あっ!今のビデオとっておきたかった」
という、
失敗感と後悔の気持ちです。
心が洗われるどころか
撮り逃がすたびにストレスで
終いにはカメラ回しっぱなしで
目をギラギラさせて
少しでも興味深い絵や体験を撮影しようと言う
欲望に駆られている状態でした。
その旅は撮影する仕事のためだったので
それでいいのかもしれませんが、
そんな状態では目の前の景色や
新しい体験を100%味わえないのも事実です。
Youtuber的とも言える
撮影する仕事の為の旅と、
自分を高める為の進化の旅は
違うことに気づきました。
別のお話ですが、
昔の僕は、
セミナーに行くたびに録音していました。
一語一句漏らしたくないと言う
執着心からの行動です。
でも、ある時気づきました。
「記録しているんだから後から確認できる」
という甘えが無意識に出ていて
本当に目の前のことに
集中する意識が薄くなっていることに。
実際、一度も
セミナーの録音を
聞き直したことはありません。
そう。
記録しないことで
目の前の体験が持つ本当の価値を
取り戻しのきかないものとして
濃く受け取ることができるんです。
儚さを残すことで
全身全霊で味わうことができ、
その体験が自分の中の記憶となって
鮮明に残るのです。
虹も流れ星もオーロラも
生で儚くみるから嬉しいんです。
録画でなんて
現代ならいくらでも見れますし
それでは本来味わえる感動も
味わえないです。
そして時にはその記録を
SNSでアップします。
SNSの役割は自分の体験をシェアして
共感を得たり自慢したりするのが
機能の一つだといえます。
と言うことは、どうやったら
SNS映えするか考えながら
カメラ越しに景色を見て
どのように発信したら
褒められて自慢できるかを
考えながら体験しているんです。
「この体験が自分に何をもたらすか」
は認識できていないんです。
そのようなスタンスで
環境に浸っても
本当の体感や価値は得られません。
本当の価値は
記録できないことにあるんです。
記録もSNSも素晴らしい発明です。
便利なこともいっぱいあります。
でも、それにとらわれるあまり
本当に大事なことを
認識できなくなっていませんか?
僕もそんなことを考え
ある時からセミナーの録音をやめました。
集中力が切れそうになるたびに
「ここで聞き漏らしたら二度と聞けない」
と言う思いが吸収力を高める為です。
結果的に学びの質が変わり、
学習力が高まったのを
実感しました。
自分を高める旅の間は、
まだ見ぬ世界に身をなげ
未知の体験や美しい自然、
新しい文化や人との出会いなどを
得るのが目的です。
なので、あえて記録せずに
この目に、頭に、
焼き付けることで
自分の一部としていく事に集中する事も
必要だと考えました。
もちろん誰かと一緒の時や
発信にコミットしている時は
写真やビデオを撮ったり
素早い発信を心がける時もあります。
なので目的と優先度次第です。
進化したい時や
旅の本当の味を味わいたい時には
「記録と発信を捨ててみる」
のもオススメです。
勇気がいる、もったいない気がする事も
承知しています。
実際に僕も発信を無くすと不安を感じたし
忘れられるのでは?疑われるのでは?
何かネタを記録しないと
旅の価値が損なわれるのでは?
などと言う思いに悩まされました。
そう。
僕もかなり
記録やSNSにどっぷり使っていたんです笑
現状を超える為に
ビクビクしながらトライしてみましたが
とても良かったと実感できます。
記録は少ない時期も多くありますが
本当の学びとして
心身の深いところに刻まれています。
こういう見えないものを沢山
心や体に溜め込んだ時
人は大きくなるのかな、
とも思いました。
そしてこれからの時代を担い
未来に大きな影響力を持つ
ダイナミックな存在になる為には
自分を大きくし
もっと高める必要があると
考えています。
教育を生業にするという
人に伝え、いかに
進化と役立つ情報を教えるかが
重要な仕事をしている以上
今の僕には、
もっと本質的な成長が必要なんです。
多くの冒険と時間を経て
だいぶ心身に
思考や体験が蓄積されてきました。
優先順位を変えて
しばらくの間、発信の意識を強めて
旅で得たものを
どんどんシェアしていきたいと思います。
今週はカンボジアに行きます。
地雷原に行く為です。
なんのためかと言うと
そこに孤独に地雷と戦う
勇気ある人物がいます。
その方から
地雷原での生活の話を聞き
生活に触れる為です。
地雷撤去の手伝いもできたらなんて考えてもいます。
正直、
地雷地帯に入るのは怖いです。
でも日本では
度重なる災害の被害に悩む方々の場所に
ボランティアに行くなど
何か役に立ちたいと対価を求めず
リスクを冒す仲間もいるんです。
それに、
嫌だと思うことにチャレンジするのは
何か意味があると思います。
そこにいる最中は発信のことなんて
考えられないでしょう。
でも、そこで伝えたい事もあるので
撮影し状況のシェアはするかもしれません。
今はまだ安全な場所にいるので
どんどん発信し、
自分の体験を誰かの役立ちに向けて
公開していきます。
応援よろしくお願いします!
入山彰介