おはようございます、
入山彰介の弟子チーム、庄です。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
という言葉があります。
これは鉄血宰相とよばれた
ドイツの政治家ビスマルクさんの
格言です。
多くの人はあのとき、
こうしておけばよかったとか、
もっと別の選択をしておけば、
といって反省することは
よくあることです。
もちろん僕もごたくに漏れず
チャレンジした失敗から学ぶことは
多いです。
できることなら、
失敗は避けたいと思いながらも
やっちまった〜と反省することが
あります。
もちろん、
このときの経験から学び
次に生かすのですが、
そもそも前提として
チャレンジには失敗はつきもの
という考えが根本にあります。
成功へのロードマップを
描いているから仕方ないこと、
目標達成にはいくらばかりか
失敗はつきもの、
チャレンジと失敗は
相対関係にあると、
心のどこかで少なからず
思っています。
むしろ、
失敗するということに対して
「正」として捉えています。
失敗という経験を多く積むことは
素晴らしいことなんだと。
ところが、
ビスマルクさんが残した格言
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
ってあるように、
どうしたら
「失敗しないか」ということを前提に
もっと真剣に考える必要があると
思ったんですね。
ビスマルクさんの生きた時代は
19世紀のドイツ帝国です。
この時のドイツって
戦争をめちゃくちゃやって
いたんですよ。
ビスマルクさんも三度の戦争を主導し
荒れ狂うドイツをまとめあげ、
ドイツを統一するという偉業を
成し遂げています。
そんな時代背景も少なからず
あるかと思いますが、
なにが言いたいのかというと、
当時の失敗とは、
すなわち、
死につながることだったんです。
「愚者は経験に学ぶ」
とありますが経験したときには
もうすでに死んでいる可能性が
あります。
だから「愚か者」なのかもしれませんが。
たった1回でも失敗することは
自分の人生に終わりをつげることに
なった時代なんです。
漫画キングダムを読んだことが
ある方はわかるかと思いますが、
戦略を間違うことは多くの
犠牲者をだし、自らも命で
責任を償わなければいけない
時代背景があります。
(春秋戦国時代の中国)
もちろん、
現代は戦争もないし昔とは違う
ってこともありますが、
失敗しなくていい失敗を
あえてする必要はないんじゃないかと
思うわけです。
つまり、
これからチャレンジしようと
していることは、
もうすでに誰かがチャレンジ
したことがあることが大半で、
先人たちはどうして失敗したか、
何が原因で達成できなかったか、
どんな心理状態になって
どんなことを思いどんな行為をしたか、
ということを事前に学んで
おくことが、
大切だと思うわけです。
21世紀の現代は失敗したから
といって、
僕たちの命がなくなることは
ありません。
でも、
たった1つだけとても大事なものを
失ってしまうのです。
いくらお金を払おうと、
大切なものを差し出そうとしても、
必ず失ってしまうものがあります。
それは、
あなたが失敗しなくていい
失敗をあえてしたおかげで、
そのときにかけた労力という、
「時間」は戻ってきません。
そう考えるととても、
もったいないような気がします。
なぜなら、
誰かが失敗したことの
二の舞をあなたが踏んでいる
からです。
先人たちが先に経験し、
失敗した学びを生かさなければ
もったいないと思うわけです。
むしろ、
先人の知恵を生かしたからこそ
現代の文明がありますもんね。
もし仮に先人の知恵を
生かしていなかったら
僕たちの生活はヤリとか持って
エッホエッホと獲物を狩に出かけていた
縄文時代のままなのかもしれません。
みずから経験し失敗した
ことからしか学ばないという
スタンスでは、
時間がいくらあろうとも
人生80年という寿命の中では
とうてい間に合いません。
事前に歴史を学んでおけば
避けられたであろう行為。
失敗しなくていい失敗を
チャレンジという言葉で美化して
いませんか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
本当にその経験は、
スキルを磨くための失敗だたのか、
それとも、
踏まなくてもいい歴史から学べた
失敗だったのか。
失敗から学ぶ意味について、
キングダムをみて考えさせられ
ました。
失敗しなくていい失敗を
あえてする必要があるのか?
自戒の念を込めて、
失敗を価値のあるものにしたい
ですね。
ではまた!
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
入山彰介の弟子チーム、庄